一本松山


参考地図 (フレーム順:北〜南)

BS・道の駅〜万善橋〜峠⇔一本松山〜自然歩道分岐 P184⇔大日山 P339〜

〜鉱山跡〜金山彦神社〜悠久の館〜白金二丁目BS

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

付属資料

<多田銀銅山遺跡>                                  (猪名川町HP抜粋)

2015年(平成27年)10月7日付け官報の告示により、正式に国史跡に指定されました。
猪名川町の文化財としては、初の国史跡となりました。 鉱山遺跡で国史跡となるのは、兵庫県
下では初、全国では大小含めて千カ所以上ある鉱山の中で8番目の指定となります。

指定面積;191,442.62平方メートル(約19.4ヘクタール)

多田銀銅山の特徴;(文化庁 資料抜粋)

○大阪平野中心部から北約20キロメートル、10数キロメートル四方の範囲に所在する銀銅鉱石
 の採掘から製錬を行った遺跡です。
○平安時代末期に採掘が開始され、昭和48年(1973)の閉山までの間、採掘の場所・規模や主
 体者を変えながらも、ほぼ継続的に銀・銅の採掘が行われました。寛文元年(1661)には幕府
 の直山となり、銀山地区に代官所と4つの番所が置かれ、鉱山の管理が行われました。1664
 寛文4年には銀3,600貫目、銅75万斤を産出し、「銀山三千軒」といわれるほどの賑わいを見
 せました。
○大坂などの都市に近接する鉱山として最先端の製錬技術が採用され、その技術は生野銀山
 にも伝えられました。
○豊富に残されている史料や複数の絵図からは、代官所や番所等の諸施設の構成や鉱石の
 採掘を行った間歩の分布だけではなく、採掘から製錬に至るまでの技術が判明しています。
○代官所などの施設の遺構、間歩などの採掘遺構、焼窯などの製錬関係の遺構も良好な状態
 で遺存しています。
○江戸から明治時代に至るまでの鉱山の在り方や産業技術史を考える上でも重要です。最盛
 期における生産の中心であり、かつ鉱山全体の管理を行っていた銀山地区のうち、条件の整っ
 た範囲 が史跡に指定されました。


<猪名川町歴史街道>
(国土地理院)
猪名川町は、猪名川の源流のまちとして、恵まれた自然環境のなか、阪神地域の憩いと安らぎ
の空間として多くの人が訪れます。 多田銀銅山で実際に採掘された鉱石や、歴史を展示して
いる多田銀銅山悠久の館や、阪神地域最高峰の大野山など、猪名川町には魅力溢れる見どこ
ろがたくさんあり、平成16年度に、歴史街道モデル地区の認定を受け、町の歴史や文化を楽し
める散策路などの整備を行いました。


<三角点情報>                                         (国土地理院)

*一本松山: 301.3m 四等△ 点名(一本松) 34°54′46″N、 135°21′13″E  

*P339.8m:   三等△    点名(大日山) 34°54′48″N、 135°20′27″E  

 

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