柳生街道
  

参考地図 (フレーム順:東〜西)

笠置駅 55m−〒局〜笠置寺〜自然歩道〜ゴルフ場横〜

〜ゴルフ場横〜かさぎ橋−阿対・アタヤの石仏−やぐり橋−十兵衛杉−

−家老屋敷−八坂神社−陣屋跡−芳徳寺〜天乃石立神社・一刀石〜ほうそう地蔵・徳政碑〜

〜阪原峠 375m〜南明寺−大柳生(興東館柳生中前BS)−

−東福寺下−多聞神社下−水木古墳−夜支布/ヤギウ山口神社−P261−

−夜支布山口神社−高圧線下−忍辱山BS⇔円成寺
当日は電車の故障で一時間遅れの出発、南明寺南西の興東館柳生中前バス停から奈良駅

(残り3.6Km)

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

参考情報

<笠置寺・かさぎでら>                                WikipediaExt.

京都府相楽郡笠置町にある真言宗智山派の仏教寺院。山号は鹿鷺山(しかさぎさん)。
本尊は弥勒仏。開基は大友皇子または天武天皇と伝える。歴史的に南都(奈良)の東大寺や
興福寺などと関係が深く、境内は鎌倉時代末期、元弘の乱↓の舞台となったことで知られる。

笠置寺は京都府の南東部、奈良県境に位置する処にあり、東西に流れる木津川の南岸、
標高289メートルの笠置山を境内とする。笠置は奈良方面からの月ヶ瀬街道と、京都方面から
伊賀へ向かう伊賀街道の交わる地であり、地理的にも歴史的にも南都との関わりが深い。
また、平城京の宮殿や寺院などの建築用材は木津川の上流から舟で運ばれたとされており、
笠置は水陸交通の要地であった。

*元弘の乱(げんこうのらん)は、鎌倉時代最末期、元徳3年4月(1331年6月)から元弘3年6月
(1333年7月)にかけて、鎌倉幕府打倒を掲げる後醍醐天皇の勢力と、幕府及び北条高時を
当主とする北条得宗家の勢力の間で行われた全国的内乱。ただし、元弘3年/正慶2年(1333年)
5?6月中のどの出来事をもって終期とするかは諸説ある。

<後醍醐天皇・ごだいごてんのう>
              奈良県ビジターズビューロー HP抜粋

鎌倉末期・南北朝初期(在位1318〜1339)の第96代天皇。後宇多天皇を父とし、談天門院藤原
忠子を母とする。 乾元元年(1302)親王となり、嘉元元年(1303)元服。  文保年(1318)31歳で
両統迭立時代に大覚寺から出て即位する。
古代的な天皇親政を復活としようとて討幕を計画したが、1324年に正中の変となり、1331年に
元弘の変を起こしたが失敗に終わり、天皇は隠岐に流された。 名和・楠・新田・足利の力に
より、1333年に鎌倉幕府を滅亡と共に京都に帰還、建武の親政を実現。しかし、種々の矛盾と
失政に加えて公武の不和のため失敗し、尊氏の反乱により崩壊した。
のちに吉野に移り、南北朝の内乱となり、在位22年、延元4年8月16日吉野宮に崩じた。52歳。
吉野如意輪寺の上、塔尾陵に葬られ、いま吉野神宮にまつられている。

<柳生藩と柳生宗矩/むねのり>                
奈良県 文化・教育・くらし創造部

柳生宗矩は元亀2年(1571)、柳生宗巌(石舟斎)の五男として大和柳生庄(現奈良市柳生町)に生
まれ、父の代に豊臣家により領地を没収され、浪人となりますが、文禄3年(1594)24歳の時、
黒田長政の仲介で徳川家康に仕えることとなりました。
慶長5年(1600)家康が上杉討伐の軍を起こすと宗矩も従軍します。石田三成らが挙兵をすると、
家康の命で柳生に戻り西軍の後方牽制に従事します。 関が原の戦にも参戦し、大和柳生庄
2千石を取り戻します。慶長6年には、徳川秀忠の兵法指南役となり、3千石の旗本となりました。
慶長10年、秀忠が2代将軍になると、宗矩の指導する新陰流は将軍家の剣法「柳生流」として、
天下一の称を受け、江戸柳生家を開きます。

元和7年(1621)徳川家光の兵法指南役となり新陰流を伝授します。寛永6年(1629)に、従五位
下に叙任、但馬守に任官、寛永9年(1632)に、初代の幕府惣目付(大目付)となり、老中、諸大名
の監察を任として、3千石の加増を受け、寛永17年1万石の大名に列し、柳生藩を立藩します。

一介の剣士から大名に迄立身したのは、剣豪に分類される人物では、日本歴史上で彼ただ一人
でありました。宗矩が残した「兵法家伝書」は、「五輪書」とともに近世武道書の2大書とされ、
それまでの武術としての剣術を武道にまで昇華させました。

<三角点情報>  
                                        国土地理院

*古城山 312.2m 四等三角点、柳生下(点名) 34°44’20″ N 135°57′17″E

*P399.6m 三等三角点、柳生(点名) 34°43’42″ N 135°56′52″E

*P261.3m 四等三角点、東部農協(点名) 34°42’22″ N 135°55′44″E     
以上

 

<調査歩行 22/11/12>

登山口から急坂を詰めると笠置寺

笠置寺山門 /rollover 弥勒磨崖仏

かさぎ橋 (京都・奈良境、柳生への入口)

阿対あたやの石仏

十兵衛杉 (落雷で枯れ二代目が並ぶ)

家老屋敷 (小山田主鈴の旧宅)

柳生陣屋跡 /rollover 陣屋跡入口

芳徳寺 (柳生一族の菩提寺)

一刀石 (アニメの影響でコスプレ姿の人も)

疱瘡ほうそう地蔵 (徳政一揆の銘文あり)

阪原峠 (かえりばさ峠) /rollover

大柳生集落の夜支布やぎう山口神社

 

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