壷笠山

 

参考地図 (フレーム順:北〜南)

穴太駅〜平子谷林道〜CP4分岐〜壷笠山〜尾根CP6〜穴太3丁目−穴太地蔵堂−唐崎駅

大津京駅−皇子山古墳−近江神宮−大津宮遺跡−近江神宮前駅(移動==穴太駅)

山頂付近: 林道・二号橋〜コールポイント4〜広場〜急坂取付〜P440分岐〜P421  CP6経由で穴太3丁目

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

                           参考情報


<皇子山古墳>                 
びわこビジターズビューローHP抜粋

近江神宮前駅の西方、皇子が丘公園の北の皇子山(164m)頂上にあり、4世紀後半に築かれた
市内最古の古墳で、国指定の史跡です。 全長60m、堀の一部が残り葺石(ふきいし)が敷かれ
ています。 形は、奈良盆地に成立した大和朝廷の大王の墓によく見られるような前方後円墳
ではなく、前方後方墳の形をしています。当時の地方首長の墓ではないかと考えられています。

この古墳は湖岸側だけが極端に先端が開き、墳丘も湖岸側だけに葺石が敷かれており、琵琶湖
からの眺望をかなり意識して築造されたようです。古墳からは、支配地であったと思われる。
市街の全域が眺められます。この古墳の少し東にある直径約20mの円墳は、皇子山2号墳です。

<近江神宮>     
                   びわこビジターズビューローHP抜粋

第38代天智天皇をお祀りし、天智天皇の古都・近江大津宮跡に鎮座しています。全国16社の
勅祭社の1社であり、4月20日の例祭には天皇陛下の御名代として宮中より御勅使を御差遣い
をいだいています。
御鎮座は昭和15年11月7日であり、神社としての歴史は新しいのですが、滋賀県・近江国の
発展は大津宮に都をおかれたことに始まるとして、古くから湖国では天智天皇に対する崇敬が
厚く、1350年の歴史に立脚する神社といえます。明治30年ころより滋賀県民の間から天智天皇を
まつる神宮の創建運動が高まり、昭和に入って昭和天皇の御勅許を賜わり、滋賀県民を始め全国
の崇敬者の真心の奉賛により創建されました。

天智天皇(在世626〜671年)は第34代舒明天皇の皇子で、1370年の昔、皇太子として藤原鎌足と
ともに蘇我一族の専横を除去遊ばされ、大化改新(645年)を断行されました。古代社会の転換期に
大陸からの圧力により存亡の危機に直面していたわが国を、偉大なる英知と勇気とをもって雄大
な建国の理想を実現せられ、古代国家確立の大本を打ち立てられた御祭神です。

特に天智称制6年(667)都を奈良の飛鳥より近江大津宮へ遷され、その後の内外の施策は目覚ま
しいものがあり、わが国憲法の源をなす「近江令」を制定、学校制度を創始して国民教育の道を開
かれ、また戸籍の制定(庚午年籍)土地制度の改革(班田収授)、当時最新の科学技術を駆使し
て産業振興を図られるなど、政治経済の改革・学芸文化の創造発展に寄与されました。
なかでも漏刻(水時計)をお造りになり、社会生活の基本である時報を始められたことはよく知られ
ています。6月10日の「時の記念日」は近江朝廷で時報が開始された日を記念して大正9年に制定。

また天智天皇の御製「秋の田のかりほの庵の苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ」は小倉百人
一首の巻頭歌として国民に親しまれ、歌かるたの祖神としても仰がれています。近年は百人一首
競技かるたが「ちはやふる」などの漫画やまたドラマでも取り上げられるなど、ことに正月の
名人位、クイーン位決定戦はよく知られる所となってきた。境内には奉納された板かるたの額も
展示されています。

<漫画「ちはやふる」>                           
ExpediaExt.

末次由紀による日本の女性漫画。「BE・LOVE」(講談社)において2008年2号から2022年9月号迄
連載された。連載終了後、同誌同年12月号にて千早たちの卒業後の瑞沢かるた部を花野菫を
メインとした展開で描いた番外編「はなのいろは ちはやふる番外編」が掲載された。アニメ化
や実写映画化された他、現実社会の競技かるた浸透にも影響を及ぼした。

<壺笠山城>                                
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近江坂本・穴太地区の西にそびえる比叡山系400m超の街道を守るために築かれていた中世山城
あるいは砦で、「信長公記」にその名が出てくることで有名。元亀元年(1570)、摂津に侵攻した
織田軍に対し、延暦寺と手を結んだ浅井朝倉軍は背後を突く形で京に迫る。この際の戦いで南の
宇佐山城主・森長可が討死している。急ぎ引き返してきた織田軍はこの地で浅井朝倉軍と対峙、
その際 浅井朝倉方が陣取った場所として「つぼ笠山」が記されている。 遺構は白鳥越えと呼
ばれる京〜坂本を結ぶ街道沿いの山頂に円形の主郭が築かれ、周囲にも帯曲輪を巡らせ、虎口
や外周石垣などを携えた技巧的な山城となっている。

                                              
以上
   

 

<調査歩行 24/4/13>

滋賀里駅から西へ1.5Kmほど、志賀の大仏 (京都北白川にも石仏がある)
崇福寺跡 (通行止めの自然歩道を分岐して上る) /rollover 令和3年から工事中
京阪・穴太駅 (自然歩道を登り、西側からのアクセスを断念して移動)
穴太駅から北へ300mほど辿ると、平子谷林道入口の標
四ツ谷川沿を上る (廃神社になった鳥居 /rollover サクラは満開

平子谷林道は西へ続く (変った堰堤)

平子谷林道に架る弐号橋からは右岸を上がる
入口から45分、V字路のCallPoint4、P326mを登る。 広場の隅の急坂を上ると小さな標

山城跡には基準点があり、壷笠山 421mを示す
壷笠山・説明板はあるが眺望はなし
山頂から取り付きの広場へ戻り、東へ下るとCallPoint6の分岐、警告板の左側の径を辿る
CP6からV字状の窪みを下り、穴太三丁目に下山、京阪穴太駅へ向う
JR唐崎駅に向う途中には穴太地蔵堂

 

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