操山

  

参考地図 <例会時の経路>

岡電・東山駅−奥市登山口〜旗振台〜八畳岩〜二股古墳〜神宮池〜自動車学校〜石高神社〜曹源寺〜
〜三重の塔〜円山不動⇔円山〜里山センター〜操山〜三勲神社跡〜操山登山口−東山駅


(行程約5時間、10Km)

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

<案内板のイラストマップ>

 

(双股古墳は二又古墳、神宮池など無記載、経路など操山案内マップ(紙・令和2年4月版)と微妙に異なる)

 

付属資料

<岡山藩>                                                     Wikipedia抜粋

備前一国および備中の一部を領有した外様の大藩である。藩庁は岡山城(備前国御野郡、現
岡山県岡山市北区)ほとんどの期間を池田氏が治めた。国主、本国持。支藩に鴨方藩と生坂藩、
また短期間児島藩があった。
岡山城を築城したのは宇喜多秀家である。宇喜多氏は岡山城を居城にして戦国大名として成長し
豊臣家五大老を務めた。しかし慶長5年(1600年)関ヶ原の戦いにおいて、西軍方の主力となった
秀家は改易となり、西軍から寝返り勝敗の要となった小早川秀秋が入封し備前・美作の51万石を
所領とした。慶長7年10月18日(1602年12月1日)秀秋は無嗣子で没したため小早川家は廃絶とる。

慶長8年(1603年)、姫路藩主・池田輝政の次男・忠継が28万石で岡山に入封し、ここに江戸期の
大名である池田家の治世が始まる。慶長18年(1613年)には約10万石の加増を受け38万石となる。
元和元年(1615年)忠継が無嗣子で没し、弟の淡路国由良城主・忠雄が31万5,000石で入封した。
寛永9年(1632年)忠雄の没後、嫡子・光仲は幼少のため山陽筋の重要な拠点である岡山を任せ
るには荷が重いとして、鳥取に国替えとなった。
代わって従兄弟の池田光政が鳥取より31万5,000石で入封し、以後明治まで光政の家系(池田家
宗家)が岡山藩を治めることとなった。このように池田氏(なかでも忠継・忠雄)が優遇された
背景には、徳川家康の娘・督姫が池田輝政に嫁ぎ、忠継・忠雄がその子であったことが大きい。

光政は水戸藩主・徳川光圀、会津藩主・保科正之と並び江戸初期の三名君として称されている。
光政は陽明学者・熊沢蕃山を登用し、寛文9年(1669年)全国に先駆けて藩校「岡山学校(国学)」
を開校した。寛文10年(1670年)には、日本最古の庶民の学校として「閑谷学校」(備前市、講堂
は現在国宝)も開いた。また土木面では津田永忠を登用し、干拓などの新田開発・百間川(旭川
放水路)の開鑿などの治水を行った。
光政の子で次の藩主・綱政は元禄13年(1700年)に偕楽園、兼六園と共に日本三名園とされる
大名庭・後楽園を完成させている。 幕末に9代藩主となった茂政は、水戸藩主徳川斉昭の九男で
鳥取藩池田慶徳や最後の将軍徳川慶喜の弟であった。このためか勤皇佐幕折衷案の「尊王翼覇」
の姿勢をとり続けた。 しかし戊辰戦争にいたって茂政は隠居し、代わって支藩鴨方藩主の池田
政詮(岡山藩主となり章政と改める)が藩主となり、岡山藩は倒幕の旗幟を鮮明にした。そうした中
神戸事件(三宮神社前で備前藩兵がフランス人水兵らを負傷させた)起こり、その対応に苦慮した。

明治4年(1871年)廃藩置県が行われ、岡山藩知事池田章政が免官となり、藩領は岡山県となった。
なお、池田家は明治17年(1884年)に侯爵となり華族に列せられた。

<操山(みさおやま)>

岡山市中区にある低山。標高は169mである。なお、「そうざん」と訓じた場合は、操山西北一帯の
地名を指す。かつては三棹山や三櫂山とも表記されていた

岡山市街地の東部にある低山で、後楽園の借景となっている。操山の169mを最高地点に東に
向かって円山(138m) 笠井山(134m)が連なる。 操山は古来、瓶井山(みかいやま)と呼ばれて
いた。 江戸時代になり三櫂山もしくは三棹山と呼ばれるようになった。のち、操山と表記され
るようになった。 古代祭祀が行われた場所であり、山上には磐座があり、古墳が多数点在し
操山古墳群を形成している。
三勲神社跡地?;三勲神社(さんくんじんじゃ)は、操山の西に延びる稜線の端にあった神社である。
明治8年(1875年)、国の施策のもと地元有志の手により、岡山市街が眺望出来る場所に創建さ
れた。 祭神は和気清麻呂、楠木正行、児島高徳の三勲。旧社格は県社。有志による創建であっ
たため氏子が存在しなかった。このため太平洋戦争後、近代社格制度の廃止により神社の運営
が不可能となり、昭和22年(1947年)玉井宮東照宮の境内に遷座した。

<三角点情報>
                                                   国土地理院
*操山 168.7m 三等三角点、操山(点名) 34°39’40″N、 133°57′20″E

*ピーク 138.1m 四等三角点、丸山(点名) 34°39’52″N、 133°58′15″E

 

 

<調査歩行 21/12/21>

 

路面電車”岡電” / rollover 東山で下車

奥市登山口

旗振台・古墳跡

恩徳寺 / rollover

明禅寺城跡

萩の塚古墳

操山 三角点168.7m

カナメモチ林

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曹源寺(岡山藩主池田家墓所)と三重の塔/3.5例会時

 

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