沓掛山・みすぎ山

参考地図 (フレーム順:西〜東南東)

〜みすぎ山 430.1〜南條橋〜馬堀駅

〜舗装林道〜舗道終端〜みすぎ山〜

〜野鳥園分岐〜沓掛山 414.7〜倒木・悪路〜舗装林道出合〜

上桂駅〜浄住寺角〜墓地〜丁塚・竹薮〜野鳥園分岐〜

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m  <行程約5:50、13Km>

 

 

付属資料

唐櫃越(からとごえ)

京都市西京区山田と亀岡市篠町山本を結ぶ道のこと。 山陰道の本道である老の坂
の北側にある沓掛山・みずぎ山を経由する山道。古くから山城国と丹波国をつなぐ
道として知られていたが、山陰道よりも距離が短い反面、最高標高400メートルの稜線
沿いに進むことから難所とされて間道・軍道としての地位に留まった。

南北朝時代・戦国時代には京都攻略のためのルートとして用いられたことが知られ、
『太平記』によれば千種顕経が観応の擾乱の際にこの道を通ったと記され、後に明智
光秀が本能寺の変の際に織田信長を襲撃するために用いたとする説もある。

唐櫃・・・昔は、棺(柩)のことを唐櫃と言った。 古墳時代に桂川右岸を支配した渡来系
 氏族「秦氏」の古墳が多い。 秦氏は、日本書紀にも登場する氏族で、養蚕を得意とした。

本能寺の変・・・天正10年6月2日(1582/6/21)早朝、京都本能寺に滞在していた織田信長
 を家臣・明智光秀が謀反を起こして襲撃した事件。 
毛利氏との全面対決を意図した織田信長は、光秀に豊臣秀吉への加勢を命じ、これに応
じた明智軍13,000が6月1日夜に丹波亀山城を出発。 進路を突如京都の中心地へと変え、
6月2日未明、ほとんど守備兵のいない本能寺に襲いかかった。 この時、光秀は自軍を・
老ノ坂(国道9号沿)・明智越(保津川北)・唐櫃越の3つに分け、京へ進軍させたと云われる。

ウィキペディア(Wikipedia)抜粋

 

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<調査歩行 19/4/28、5/11>

浄住寺角 (右の道から唐櫃越え)

丁塚・竹薮

野鳥園分岐

沓掛山

倒木・悪路が続く

林道出合(舗装道が続く)

みすぎ山

馬堀駅 (来年の大河ドラマを意識した標)

 

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