龍王山

 

 

参考地図 (フレーム順:西〜東)

 柳本駅〜黒塚古墳/天神山古墳〜崇神天皇陵/景行天皇陵〜林道−               〜石像〜長岳寺〜トレイルセンタ-〜駅  

〜林道終点〜奥ノ院分岐〜田竜王神社⇔山頂(南城跡)〜北城跡〜不動明王石像〜〜

地理院地図・電子国土Web  Scale  100m

 

 

付属資料

<黒塚古墳>                                     (天理市観光協会HP抜粋)

櫛山古墳や崇神陵と同じ丘陵上に立地し、崇神陵より西の丘陵先端部に位置す。全長約130m
後円部径約72m、後円部高さ約11m、前方部の高さ約6mの前方後円墳で、築造された時期は
4世紀初頭(古墳時代前期初頭)と考えられている。
1997年から1998年にかけて発掘調査が行われ、長さ8.3mの竪穴式石室が埋葬当時の状況で
検出された。何度も盗掘の試みがなされた痕跡がありましたが、築造されてしばらく後に起
きた地震で石室の上部が崩壊し、結果として盗掘から守られました。

遺物や朱の残存状況から、被葬者は北を頭にして埋葬された事も判りました。木棺内には
画文帯神獣鏡(がもんたいしんじゅうきょう)1面と、その両脇に刀剣類が置かれ、木棺と
石室壁面の間には、多数の鏡や刀剣類が収められていました。鏡は木棺内の画文帯神獣鏡以
外は全て三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)で33面あり、木棺の北半分をコの
字形に取り囲むように配されていました。
この三角縁神獣鏡は卑弥呼が魏の国から貰った鏡と考えられています。卑弥呼の墓とされる
箸墓に近い所から出土した事から、邪馬台国畿内説がクローズアップされる事になった。

<崇神天皇の墓と伝えられる古墳>

大和朝廷の創始者とされる第10代天皇、崇神天皇の陵墓「山辺道勾岡上陵(やまのべのみちの
まがりのおかのうえのみささぎ)」として陵墓に指定され、宮内庁が管理しています。
地域の名を取って「行燈山(あんどんやま)古墳」とも呼ばれています。周濠に沿う緑が美しく
展望も良いことから、山の辺の道を歩く人達にとって、絶好の休憩場所として親しまれています。

古墳は全長約242m、後円部径約158m、口縁部の高さ約31m、前方部の幅約100m、前方部の高さ
約13.6m、周濠を含めた全長は約360m、最大幅約230mの巨大な前方後円墳です。築造された年代
は4世紀後半(古墳時代前期後半)の早い時期と推測されています。
また、この古墳は大王墓にふさわしく、3基の陪塚を伴っています。南アンド古墳(全長65m)、
アンド山古墳(全長120m)、天神山古墳(103m)です。全て前方後円墳で、地方では豪族クラス
の規模を誇ります。

<景行天皇の墓>

この古墳は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の父と伝えられる第12代景行天皇の陵墓とされ、
「景行天皇山辺道上陵(けいこうてんのうやまべのみちのへのみささぎ)」として宮内庁が管理して
います。 地区の名を取って「渋谷向山(しぶたにむこうやま)古墳」とも呼ばれています。
古墳は等高線の乱れが少なく、崇神天皇陵のように大きな改変を受けていません。また、周濠も幅
が狭く、築造時の姿を良くとどめているとされ、周濠と周濠を仕切る土手の調査では、築造時の葺石
が確認されています。
全長約300m、後円部径約168m、後円部の高さ約25m、前方部幅約17m、前方部の高さ約23mを測り、
前方部はほぼ西を向き、周りには濠が巡っています。 崇神天皇陵に続いて造られた大王の墓で、
前方後円墳、円墳、方墳、各1基の陪塚(ばいちょう)を持ち、4世紀の古墳としてはわが国で最大
規模の古墳です。遺物は埴輪や土器などしか見つかっていませんが、伝世品として関西大学が所藏
する石枕があります。1864年の出土とされ、大王の頭部を飾るのにふさわしい優品です。

<龍王山城跡>

盆地全体を見渡せる好立地に位置し、中世城郭としては大和を代表する山城跡と言われています。
天文(1532〜1554)年間、橿原市の十市周辺を本拠としていた十市遠忠が拠を構え、別名、十市城と呼ば
れました。永禄(1558〜1569)年間には松永久秀の支配するところとなり、改築されています。その後
天正8(1580)年10月、織田信長が郡山城を除いて大和の諸城を廃したのに伴い、廃城となりました。
城は南・北二つの峰に築かれ、別々の城が一つの城を形づくる連郭式山城です。北城は南城より約60m
ほど低く、大規模な平坦面が残っています。南城と合わせると、面積としては信貴山城を抜いて大和一
の中世城郭となります。 縄張もよく残っており、今もあちこちで土塁や竪堀の跡、郭(くるわ)等を
見ることができます。

平成9年には南城跡から北へ一段下がった平坦面が調査され、楚石を持つ建物跡1棟が検出されました。
南北13m、東西7mの瓦葺き建物で、敷地の幅いっぱいに建てられていました。武士が詰めた大広間的な
建物とみられ、南側には簡素な石組みの庭園も見つかっています。


<三角点情報>

*龍王山 : 585.5m 二等△、 点名(竜王山) 34°32′42″N、 135°53′28″E     (国土地理院)

 

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