<大宇陀町 おおうだちょう>
Source:Wikipedia
かつて奈良県宇陀郡にあった町。2006年(平成18年)に菟田野町・榛原町・室生村と合併して
宇陀市が発足し、自治体としての大宇陀町は廃止された。2011年(平成23年)3月までは宇陀市
の地域自治区として大宇陀区が存在した素晴らしい街。
奈良県東北部、大和高原の南端部に位置し、宇陀川流域の小盆地に中心市街地(旧松山町域)が
形成されていた。町域の東及び南は音羽三山など標高800〜900mの竜門山地が桜井市、吉野町
との境界をなす。町域の北部と西部は標高350〜400mの丘陵地からなり、榛原町、菟田野町と
接する。町域の中心部、旧松山町域の西には標高471mの城山がそびえる。
町域の大部分は淀川水系の宇陀川及びその支流の流域だが、南部の旧上龍門村域の西半分は
紀の川水系の津風呂川流域だった。 面積の大部分を山林が占め、丘陵間の谷地は田畑として
利用されていた。市街地は宇陀川と城山の間の細長い平地にのびていた。
町域の中心を宇陀川・津風呂川沿いに国道370号が縦断していた。桜井市より延びる国道166号
は北西女寄峠より町域に入り、旧松山町域で国道370号と交差して東の菟田野町へ抜ける。最寄
りの鉄道駅は北方の近鉄大阪線榛原駅で、町域に鉄道はない。
歴史:古代には阿騎野と呼ばれ、宮廷の狩場となった。柿本人麻呂は阿騎野で「東(ひむかし)
の野に炎(かぎろひ)の立つ見えてかへり見すれば月傾ぬ」という和歌を詠んでいる。
「日本書紀」には「菟田野」と記され、薬草の採取(薬猟)や栽培、生薬製造が江戸時代にかけて
栄えた。現代でも「薬の館」が市の歴史文化館として公開されている。
中世には地侍出身の秋山氏が支配したが、その後は支配者が入れ替わり、江戸時代の17世紀に
織田松山藩3万石の城下町となった。織田氏転封後は江戸幕府直轄領となり、明治維新を迎える。
<又兵衛桜 またべえざくら>
宇陀市大宇陀本郷にある一本桜で、栽培品種としてはシダレザクラ。樹齢は約300年。 瀧桜(たき
ざくら)とも呼ばれる。奈良県の保護樹。
2000年(平成12年)のNHK大河ドラマ「葵
徳川三代」のオープニング映像で使用された事で有名にな
る。 桜の見頃は4月上旬〜中旬で、この頃はライトアップが行われ、観光客や写真家などで賑わう。
名称は大坂の陣で活躍した戦国武将後藤基次(又兵衛)に因んでいる。豊臣家崩壊後、後藤基次は
大宇陀の地で暮らし、再興の時期を待ったと伝わるが、桜はその時の後藤家屋敷跡にある。
<日本三大桜(三大巨桜)>
国の天然記念物に指定されている樹齢1,000年以上の古木、福島県の「三春滝桜」、山梨県の「山高
神代桜」、岐阜県の「根尾谷淡墨桜」の3つです。いずれも歴史的価値と圧倒的な美しさを誇る。
三春滝桜: 日本を代表するベニシダレザクラ。四方に伸びた枝から薄紅色の小さな花が無数に咲き
誇り、滝が流れ落ちるように見えます。
山高神代桜: 推定樹齢2,000年とも言われるエドヒガンザクラの古木。日本最古級の桜として知られ
神々しい姿が特徴です。
根尾谷淡墨桜: 樹齢1,500年以上のエドヒガンザクラ。薄いピンクのつぼみが満開時には白、散り際
には薄い墨色に変わるため「淡墨」の名がついています。
以上
|